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    今日で60年・・水俣病と社原病

    • 2016.04.30 Saturday
    • 21:20



    公害の原点とも言われる水俣病が

    今日、5月1日は、初めて水俣病が公式に確認されてから、60年になるといいます

    昭和31年患者が増え初めて
    翌、昭和32年以降、この症状を伴う疾患を『水俣病』という。

    水俣病の原因である、メチル水産化合物は
    消化管から取り入れられ、血液を介し全身の臓器にメチル水産化合物は影響を与える。

    一部は血液脳関門を通過し、脳の中枢神経に蓄積し、神経細胞にダメージを与え、神経症状が出てくる。
    そのため、

    感覚障害、小脳性の運動失調、視野狭窄、聴力障害、眼球運動や平衡感覚などに障害が生じ、振戦などが出てくる。

    感覚障害
    運動失調
    視野狭窄
    聴力障害
    は、メチル水銀中毒の典型的な症状とされている。

    重度な場合には、
    不穏、狂躁状態、意識障害を生じ、死に至る

    水俣病が発生した初期3か月で、16名の方々がなくなっていて、昭和40年時点での死亡率は
    44.8%にのぼっており、発症したら、約半分の人々が命を落としていというから、
    当時の地域、社会周辺には脅威だっただろうし、
    それにより働けなくなった方々の生活が困窮し、
    原因が、わからないとされた初期の、奇病として医師も近づかなかった当時の語り部の記事を読むにつけ、
    当事者の生活や人生が至極窮地に追い込まれていったであろうことは、
    想像にあまりある。

    日本も重化学工業を中心として、経済発展が重要という、第二次大戦後の経済復興を基盤に軌道に乗ろうとしている時期、

    おのずと、
    たとえそれがわかりはじめたとしても、
    大きな経済の流れを足止めするようなことにはしたくない、慣性として働く
    大きな歯車が
    そうした、経済なインセンティブが、
    小さな町でおこった出来事を、閉じ込めてしまうような状況は、想像できなくない。

    熊本の水俣病の原因となった製造工場が廃水を完全に停止したのは、
    最終に報告されてから、実に、12年の月日が流れた、昭和43年だったといいます。
    また、
    政府の統一見解が発表されたのも、昭和43年度9月26日
    ですから、12年の月日が流れて後のことになります。




    熊本県水俣市、最高齢の語り部の、上野エイ子さん(88)によると


    最初に家族に症状が現れたのは、

    1958年、8月

    真夏なのに激しく震える旦那さんは、

    箸が使えなくなり、

    顔がコメだらけになり


    その姿を見て涙したそうです。


    水俣病は、化学工場から海や河川に排出されたメチル水銀化合物を、魚介類が、エラや腸から吸収して、あるいは食物連鎖をし、魚の体内に蓄積したものを、

    人が日常的に摂取(多食)した人々に発症した中毒性の中枢性神経疾患のことをいいます。


    熊本県水俣湾周辺に発生した、当時は原因不明とされた神経疾患でした。
    (後に、新潟県阿賀野川流域にも発生しています)


    医師は、

    当時の水俣病を奇病とし、

    往診などもしてもらえないなか、

    赤ちゃんがお腹のなかにいながら、看病を続けたといいます。


    しかし、旦那さんは、程なくお亡くなりになり、

    葬儀の6日後に、長女が誕生

    手足がこわばり、3か月しても首が据わらないという、長女さんも胎児性の水俣病でした

    当時は、小児麻痺と診断され

    痙攣が起こり、白目をむくお子さんを

    「死んではダメ、死んではダメ」と叫びながら病院につれていくも、

    翌朝には、冷たくなっていた、と、語られています。



    わずか2歳半の命でした…


    .当時は「小児麻痺で入院しても同じ」と、入院には応じてもらえないほど、

    理解されていない、

    医学も、認識も追いついていないなかで、おこった、

    あまりにも悲しい出来事でした。



    悲しみを思うと、

    胸がしめつけられます




    さらに

    最初の

    水俣病の認定では、

    当時の環境庁により、77年に「迅速な行政認定」として、


    ・感覚障害

    ・運動失調

    ・視野狭窄

    など、複数の症状の組み合わせが症状としてあることを原則としたため、


    症状があっても、政府が設けた基準により認定されないわ水俣病患者が続出する


    なかなかこの基準での線引きが、
    当時は当時の医学であったとしても、
    今も昔も、

    ある決められた基準に入るか
    入らないかで線引きがなされる場合、

    そこからもれた人々は、
    病気があり、症状があるため、働きにくい、が、
    生活費は思うように稼げない、
    さらに、医療費もかかり、
    生活費を削るため、栄養状態なども低下、

    見えにくいところで、
    うつ病や、抑うつ、
    自殺など、関連死なども増える。


    そうした社会的な周辺状況まで加味した包括的な支援体制が、非常に重要となる

    が、
    様々な事情が錯綜し、
    弱い立場にたたされた人々の声は、
    振り絞り上げた声さえも、かき消された悲しい歴史がそこかしこに散見する


    そういう立場には、
    ほんとのところなってみないとわからない辛さがあり、なったときに、力を振り絞っても伝わらない悲しさがある


    社会都合による線引きにより、
    支援を受けられなくなり、困窮する人が現代にも通じる


    実際の症状は、
    働く状況に影響があり、
    労働環境は、医療とはまた異なる点も多く、配慮があったら、働きやすさが、格段にあがり、働ける方々も多い。


    社会的な生き物である
    人と、実際的にどう向き合うか、


    水俣湾でおこった出来事から
    ひと、

    この国や、僕らは学べたのだろうか


    と、60年をむかえた今、

    何度も耳にしたははずの水俣病気とはなにか。
    を考えてみる。


    ふと、


    社会的な事情がつくりだした病気


    社原病という
    言葉が浮かび、消えた


    急ぎすぎた社会が、見失いやすいもの


    弱い立場に置かれた人の有り様をみると、その国の文化がわかるといいます、



    この国は、今、どんな文化でしょうか。

















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